大阪屋の定番 「どら焼」
あっさりと炊き上げた選りすぐりの北海道小豆を香味豊かな皮で挟みました。 気取りのない庶民の味覚、食べ飽きない美味しさ。 昔も今も、一番人気のおやつ和菓子です。
北海道産小豆
選りすぐりの北海道産小豆のつぶ餡。職人が大きな鍋で炊き上げます。
ふっくら しっとり
きめが細かいながらも「ふっくらしっとり」焼き上げた皮の食感。
昭和20年当時から配合や製法に改良を施して現在に至っています。
昭和25年大阪屋の「どら焼」誕生
昭和28年、古町本店での店頭実演販売は大好評で話題となりました。
写真:昭和28年
カロリー(1個当たり) | 209kcal |
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アレルギー | 卵・小麦 |
大阪屋の定番『どら焼』物語
■お客様の行列は二町内にわたり・・・
昭和28年、新潟古町店がそれまでの間口を2倍に拡張しました。向かって半分は和菓子売場、右半分が洋菓子売場。奥には茶寮を設置、そしてバックルームには小さな和生菓子仕上げ工場がありました。
和部門と洋部門挟まれた店頭中心部のスペースをどのように活用すべきか検討を重ね、おやつ菓子として人気のあった『どら焼き』製造の実演スペースとすることになりました。鉄などとは異なり、火の当たりが柔らかな厚さが2cmもある大きな銅板(業界では『一文字』と呼びます)で、どら焼きの皮を焼くリズミカルな手仕事と甘い香り。毎日毎日たくさんのお客様が店頭に足をお留め下さり、どら焼きの皮が焼きあがる様子を熱心にご覧くださいました。おかげ様でどら焼きの実演販売は大いに人気を博し、お買い求めいただくお客様の行列は古町八番町から六番町に至るほどでした。毎年クリスマスシーズンには、この実演スペースがデコレーションケーキの仕上げ場となりました。
昭和28年 クリスマスケーキ実演
毎年クリスマスシーズンには、どら焼き実演スペースがデコレーションケーキの仕上げ場となりました。
■製品改良を重ねる
たとえ伝統的な定番菓子であっても製品改良は必須です。どら焼きも同様でした。昔ながらの配合では焼きたては美味しいのですが時間がたつにつれ急激な皮の老化現象が起こり味が落ちてしまいます。火を通したはずの小麦粉が生返ったような風味、皮の香味や弾力も失われてしまいます。「どら焼きの美味しさを少しでも維持することができないのだろうか?」昭和20年当時から配合や製法に改良を施して現在に至っています。改良担当は当時中堅の和菓子製造担当者。実験に実験を重ね、ようやく現在に繋がる配合と製法にたどり着きました。
■一時『みかさ』に名称を変える
『みかさ』とは関西におけるどら焼きの名称です。由来は奈良の三笠山。なだらかな稜線がどら焼きを連想させます。弊社初代(近江・彦根藩領出身)が大坂で菓子修行したことにちなみ、昭和40年代から50年代にかけてどら焼きを関西風に『みかさ』と呼んでいましたが、今では昔ながらのどら焼きという呼び方へもどしています。和歌に詠まれ雅な印象を受ける『三笠山』、関西出身の初代の記憶を遺すという意味からも捨てがたい魅力があるのですが、やはり、雪国越後や新潟湊には『どら焼き』という呼称がしっくりくるようです。
■昔も今も・・・
北前船の寄港地としても栄えた新潟湊。誇らしげに鳴り響き出帆を告げる『銅鑼(どら)』の音。この『銅鑼』を火にかけて生地を焼いたことが『銅鑼(どら)焼き』という菓名の由来です。毎日、出船入船で賑わう河岸や埠頭。メリケン粉(小麦粉)・卵・砂糖を原料としたパンケーキ。そして手間とコストをかけて晒した上品な漉し餡とは趣を異にする、気取りのない小倉餡との共演。城下町とは違って来るものを拒まない、湊町新潟にふさわしい魅力的なおやつ菓子だと捉えております。これからも日々改良を加えるとともに新しい味覚の開発にも努めてまいります。 どうぞお楽しみに。