バウムクーヘン
昭和31年(1956年)発売の人気者!一層一層生地をかけ、年輪模様をいつくしむように”炎”と対話しながら焼き上げます。
厚切りバウムの贅沢
バウムクーヘン(丸)の箱には発売当時のデザインを復刻!高さ5cmの贅沢な厚切りをお楽しみください。(直径13.5㎝)
しっとり やわらか
新鮮卵を使ったしっとりやわらかなバウムクーヘンは、個包装タイプもございます。
※冬限定チョコかけ(カットのみ)
炎の手仕事
一層一層生地をかけ、年輪模様をいつくしむように”炎と対話”しながら焼き上げます。
TOPページの動画でもご紹介しております。
カロリー(100g当たり) | 446kcal(カットバウム1個当たりは192kcal) |
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アレルギー | 卵・乳・小麦・大豆・アーモンド |
炎の手仕事『バウムクーヘン』物語
◆昭和31年(1956年)発売
弊社は太平洋戦争後の混乱を経て、昭和24年(1949年)冬にはクリスマスデコレーションケーキを、昭和29年(1954年)夏にはソフトクリームを、そしてバウムクーヘンを昭和31年(1956年)に発売。新潟におけるバウムクーヘン製造販売の先駆けとなりました。当時は贈答用高級ドイツ菓子の代表という位置づけでした。贈答用の専用金属缶に入れて販売した時期もありました。
回転する心棒に生地を付け、一層一層、焼成機の炎と対話しながら丁寧に焼き上げます。昔も今も、この製法は変わりません。炎を目前にする作業ですので夏はつらい職場です。
何層にも焼き目が重なり、直径が大きく一本あたりの総重量が増えるにつれ細心の注意が必要となります。両端の焼き込みが甘いと製品自体の重みで心棒から外れて落下してしまうのです。あと少しで完成というときに、みるみるうちに亀裂が走り、ドスンと音を立てて落ちてしまうのですから作り手が受ける精神的ショックは相当なものがあります。そうならないためにも両端は黒くコゲるほど、しっかりと焼き込む必要があります。
発売当時のしおり
右のイラストは、現在発売中の「バウムクーヘン・丸物」箱デザインに復刻しています!
◆チョコレートのコーティング
東京のお客様から「チョコレートをコーティングしたバウムクーヘンは珍しい。」というお言葉を頂戴してきました。焼きっぱなしかフォンダン(粉糖を洋酒で溶いたもの)をコーティングすることが一般的のようです。以前、弊社もチョコレートが泣いてしまう夏季はフォンダンコーティングでした。(現在は気温が高くなりすぎるためコーティングなしです。冬期限定にて「チョコかけ」あり。)
しかし、昔も今も一番人気はやはりチョコレート。弊社は昭和24年、新潟で初めてチョコレートをコーティングしたクリスマスデコレーションケーキを発売して現在に至っています。新発売バウムクーヘンへのチョコレートコーティング採用は自然な流れでした。
◆昭和53年(1978年) ソフトバウムクーヘンへ仕立て直し
昭和31年の発売からドイツ風の伝統的なレシピで作り続けてきました。しかし、昭和50年頃になると、「バウムクーヘンは美味しいけれど飲み物がないと喉に閊えるようで、なんだか食べにくいお菓子だ。」という意見を頂戴するようになりました。伝統的な配合では、口どけは良いのですが焼き上がりの生地水分量が少なく飲み物が欲しくなります。そこで、発売以来のレシピを見直し、水分量の多いソフトバウムクーヘンへ仕立て直しを行うことになりました。現在ではソフトバウムクーヘンが主流となってますが、弊社では昭和53年にソフト化へレシピを切り替え今日に至っています。
◆お菓子と文化論
『お菓子は空腹ではなく、心を満たすもの』。そして五感に思い出までも加えて脳で味わうという不思議な嗜好品だと思っています。そして、それは、タイムマシンや映画『スターウォーズ』に登場するミレニアム・ファルコン号のように時空を超越する乗り物のようにさえ思えることがあります。
『お菓子のうた』甘味の文化誌から(岡部 史 著 2012年5月 ブイツーソリューション発行)に弊社のバウムクーヘンの思い出を掲載していただきました。バウムクーヘンが登場する文化論を、どうぞお楽しみください。
七. バウムクーヘン 年輪よりも美しく
本国のドイツよりも日本で人気を博したお菓子である。私は東北の小さな町に住んでいた小学生の頃、初めて食べた記憶がある。新潟の「大阪屋」という菓子店のもので、父の同僚の人からの手土産であった。
包みを開いてみて、まずはその新鮮なかたちに驚いた。本当に一本の木を輪切りにしたような年輪の美しさ、それがそのままお菓子であるという奇抜さにすっかり魅せられてしまったのである。カステラよりも歯ごたえがあり、年輪の部分が味のアクセントになっているのもしゃれていて、たちまちファンになったのである。 ~(途中略)~
この年輪を縁起の良いものに感じた日本人は、バウムクーヘンをお祝いの品としても使うようになった。昭和四十年代から五十年代には特に人気が高まり、持ち運びにも便利なところから、結婚式の引き出物などとして活躍するのである。
バウムクーヘンを詠った歌となるとなかなか見当たらないのだが、次の歌はこのお菓子の形の特徴をよく掴んでいて、感心させられる作品である。
切り分けられしバウムクーヘンの一片を食べるは傘(からかさ)連判状に似る 村松正直
西洋のお菓子というと、種々の飾りを特徴としていて、切り分けにくいものが多い。苺がのっている部分とのっていない部分、生クリームが分厚い部分と薄い部分、薔薇の花の飾りがあるところ、ないところと複雑で、平等に分けるのは至難ということになる。
子供の頃は、どう分けるかで喧嘩になったりした。「デコレーションケーキは、もう買いませんよ。」と親にたしなめられたりしたものである。でもバウムクーヘンなら、分けるのは簡単である。多少の大小の違いは出てくるかもしれないが、そもそも飾りはなし。だいたいが均等な円形であるし。
作者は中央に空洞のある平たい円形から、傘連判を想起したのだ。傘連判とは、室町時代から江戸時代にかけて用いられた文書の一つで、まるで開いた傘のようなかたちに署名してあるところから名づけられている。多くは百姓一揆などに用いられたもので、全員一致しての行動であることを強調するために、あるいはお互いの紐帯を強めるためにこのような形式を採ったとされている。また、首謀者がだれであるか隠す狙いもあったという。
こんな風に詠われると、お菓子の形と連判状の形の相似、ということを超えて、作者が食べようとしているバウムクーヘンが一種の「賄賂」のようにも感じられてくるから可笑しい。「お前も同じくらいの量を食べただろう、一蓮托生だからな」と念を押されているかのような。
そして、合理性を何より尊ぶドイツから生まれ、平等を尊重する日本で強く支持されているお菓子、というのもあながち偶然ではないような気もしてくるのである。
[著者のご紹介]
岡部 史 氏
1951年 山形県生まれ。
日本女子大学文学部史学科卒業。
アメリカ ノースカロライナ大学に学ぶ。
著書に『古きよきアメリカン・スイーツ』(平凡社)、『マユのお姫様修行』(ポプラ社)、
歌集に『コットンドリーム』(雁書館)、『韃靼の羊』(砂子屋書房)、
訳書に『オペラ座の怪人』『魔女図鑑』(以上、金の星社)など。
※下、写真2枚:昭和50年代頃に撮影したバウムクーヘン